冬の時代を笑いで乗切るために<短編物語>読むだけで税や会計の 生きた知識が不思議に身に付く
<短編物語>第8話 いとをかし・・M&A その4
シーン4 正井税理士事務所 相談室
相談室は遮音してある。会話は洩れないから本音が話せる。御香宮裏門で別れたその後の単野の気持ちを聞くため、正井は単野が経営するシンプル興産(株)の過去の決算書・法人税申告書・月次の財務データ・決算重要事項のほか所得税はじめ単野所有資産の評価明細書にも目を通して単野社長が来るのを待っている。そして彼は来た。
<判断をするために必須のことは何か>
「単野社長ご足労掛けます。ノートパソコンを貴社関連のデータが入っているサーバーに繋げてこちらからお伺いすることもできますが話の成行き次第でデータを印刷してお渡ししたり、書籍や条文を横に置いて説明する必要も出てくるかもしれませんのでお越しいただきました。」
「それにしてもたくさんの本ですね。図書館できるくらいですね。ムツカシイ話は分からんので宜しゅうお願いします。」
正井は優しく言う。「その後、お気持ちは整理できました?、、」
「いいえ。先生とお宮さんの裏門でお別れしてからJR大和路線を越えて筑前台町の方まで遠回りで歩きながら自分で自分に問い続けました。しかし先生にアメリカの人が少ない州に行きたいと言ったその言葉が何度もよみがえってきて、家へ帰ってからもモンタナ州への行き方を調べたりして結局、答えは出ないままですヮ。」
「分かりました。お気持ちわかります。」正井の思う通りであったが単野をまず認める。そして核心を衝く「長年されてこられた事業をやめる決断は簡単ではないですよ。何が気持ちを決めるのに必要と思われますか。」
「、、、、、、分かりません。」
「事業の状態を示す数字を使って会社の実像を見ることです。人間は自分で自分の顔を見ることはできません。鏡は左右が逆なので鏡に映る顏は本当の顔ではないのです。しかし事業がどうなっているかは会計数字で出ます。それを分かろうとする経営者は稀です。大概は税金が幾らかかるか、だけが関心です。あなたもそうでした。決算の際に詳しく内容を分かっていただくために説明しようとしてきましたが、単野さんは聞こうともされなかったです。少しマシなかたで聞いているフリをされます。」
初歩入門程度でも知ろうとしないくせに「すみません。本当に数字がわからないので、、」と単野は言う。
「良いですよ。でも今日は聞いてくださいね。会社は傾いて復原できないところに来ています。銀行借入金2億円、あなたからの借入金も同額あります。決算書では社長借入金として銀行借入金と区別しています。このように負債が計4億です。それに比べて預金は5千万円と機械や器具などが1億円あります。税法上の特別償却をしていますから購入金額2億円から大きく下がっています。本社工場の土地・建物は社長から借りていますから会社の貸借対照表には計上されません。噛み砕いて申し上げると負債という名の敵が4億円、資産という名の味方1.5億円です。落城前ですね。」
単野は絞り出すような声で尋ねる。「どうすれば良いですか?、、、」
正井は「オット。その前にM&Aの話をどうされるかです。落城寸前の会社を150万円で手に入れたいと先方は言ってます。それも借入金の返済や銀行保証を外すことにも触れないで、とにかく急ぐから早くしたいと。先方が金融会社から追い込まれていることはすでに伝えました。どうされます?」
「今、気がつきました。とても相手にできる人たちではないです。ただ銀行保証を外せる、借金のカタもつく、役員退職金が貰えるらしいと思いこんでしまったのです、、、」
「気がつかれて良かったですね。落城の例えが良かったのかもしれません。日本の中小零細企業は落城寸前が多いです。やがて雪崩をうって倒産が始まります。」
「先生、綾茂さんがもってきた横島商事さんとの話は良くないと分かりますが、ほかに道もないからひょつとしたら銀行借金や保証が消えるなら、とのかすかな願望があります。」
<出口が見つからないと決められない>
正井は単野の表情を見、横顏も見、眼の虹彩に焦点を当てて低い声で口を開く。「社長は出口を見つけたいのですね。よくわかります。」
「そうなんです。分かっていただけますか先生。そこが見えないとどうもできません、、」
正井はこれまでも単野に会社の数字の大事さを繰り返し、繰り返し訴えてきたことを思い出した、が、そのことを表情には出さず続ける。
「工場主任の奥さんが言われた言葉に答えがありますョ。」
「エエ―ッ ホンマですか。」
「奥さんは言われましたね。会社に借金が多い、そんな借金返すのも保証背負うのも嫌や、アホクサイと。試験問題に答えが潜んでいるのと同じです。答え言います。」
「気がつきませんでした。どんな答えですか?」
「会社の借入金返し、保証も解除したら奥さんは工場主任がアトツギするのを応援する、ということですわ。」言葉の裏側を読まないと、と思うが口には出さなかった。
「たしかに。でもどうして借金返しますか?」
「伏見のご自宅、売却して銀行借入金返します。税務署の路線価も高い、取引相場も高い。居住用ですから租税特別措置法35条系の特例も使えます。これで個人保証も消えます。会社の預金5千万円であなたの役員退職金にされたらよろし。優秀な機械は工場主任と副主任に無償で呉れてやる、彼らの退職金代わりです。これで会社はガランドウになります。そこで会社を清算しましょ。あなたが会社に貸し付けたというか資金供給した累計2億円、そう貸借対照表の負債の部にある社長借入金勘定の残高ですがこれの始末もしましょ。」
「どうするのですか?」
「債権放棄するのです。」あっさりいう正井の顔をマジマジとみて単野は言う。
「そんなん殺生や、アカン、アカンでエ」
正井は聞き流しながら言う。「社長の側から言えば2億の貸付金債権があります。これを放棄することで会社には債務免除益という特別利益が2億円出ます。法人の税金が心配ですね。しかし過去の欠損金は10年分は特別利益から差引くことができます。さらに10年を超えた「期限切れ欠損金」も差引けます。長年赤字だった貴社には2億以上の欠損金があります。なので債務免除されても清算所得は出ません。無税です。」
「何か大損した気持ちです。」
「債権放棄されないで会社に対する貸付金2億残ったままでしたらその2億に相続税が掛かりますよ。民法889条で相続人には親、子、配偶者が居なくても兄弟姉妹やその子であるオイメイが相続人に繰上って相続税のターゲットになります。回収する当てもない貸付金に相続税がかけられて、、その人たちは相続税を払う資金もないじゃないですか、残酷な話ですね。嫌でしょう?!」
「もちろんです。普段の付き合いもないのに、、、絶対嫌です、避けたいです、、!」
単野は続ける。「会社清算して私はどうして生活するのですか?虎の子の機械もないし。」
<債権放棄 賃貸収入>
正井は、事業の継承は日本古来の或る世界(テキ屋)で伝わる縦のスジではなく、勢いとやる気のある若い衆に枝分かれしながら継承してきた流れを話し、言葉を繋いだ「主任と副主任は新鋭機械を使って自分の事業を始める。今の工場を彼らに賃貸するのです。」
「アッ」という音が単野から出る。
正井は問う。「どうですか、、あなたには家賃収入が入ります。二人は雨露凌ぐ場所がないと機械だけでは事業出来ませんでしょう。」
「ちょっと頭を整理させてください。綾茂コンサルタンツさんからのハナシと較べてみますわ。」
「そうされたら良いでしょう。」半ばあきらめた正井の口調にぎょっとしたように単野は続ける。「先生を信用しないのではないのですが得心行くまで、、」
「どうぞどうぞ」と正井。正井は内心で思った。結局、信用されていないのだと。ある経営者の会で「税理士騙したら税務署も騙せる!」と正井がいるところで聞こえよがしに得意げに話す業界の大物と言われる人物が思い出された。また先輩税理士の「商売人さんは器用にカオを使い分けなさる。」との言葉も思い出した。なるようになれと思い、あきれるばかりであった。
次回予告
会計数字を分かろうともしない単野はウマい話にこだわるのでM&A提案者の綾茂と横島に会ってから最終の結論を出すことになった。この準備にM&A用語であるEV(Enterprise Value)やEBITDA (Earnings before interest taxes depreciation and amotization)、EV/EBITDA倍率をはじめPPA(Purchase Price
Allocation)などを単野に解説し、買い叩く相手の正体を明らかにして単野に誤った判断をさせない準備が必要であった。